第2回 知っ得福祉

知っ得福祉 姫野 桂さん

福祉の聞きたいこと、知りたいことがわかる。現場のリアルな声をお届けします。

38歳ライターの〝生きづらさ〟との向き合い方。

夫と出会って「量より質」の人生に

「生きづらさを抱える人たちへの取材は、自分とも似ていて共感できるんです」と語るのは、東洋経済オンラインを始めとし、取材記事を連載・寄稿しているライターの姫野桂さん(38歳)だ。

自身も発達障害当事者で算数LD(「読む」、「書く」、「計算する」等の能力が、全体的な知的発達に比べて極端に苦手な学習障害の1つ)と二次障害で双極性障害・摂食障害を抱える。 発達障害とは、脳機能の発達に関係する障害で、二次的な障害として、双極性障害やうつ・不安障害・適応障害(強いストレスが原因で、情緒や行動に不調が生じ、日常生活に支障をきたす精神障害)等を併発することがある。 主に「生きづらさ」を抱えた人たちの取材記事を書いている彼女は、現在、臨月を迎えている。 そんな彼女が今、思うこと、二次障害を抱えながら歩んできた半生を聞いた。

図「発達障害って、なんだろう?」政府広報オンラインより

過干渉な親のもとで育った、引っ込み思案な少女時代

姫野さんは、宮崎県宮崎市に、過干渉気味の両親の間の一人っ子として生まれる。 父はフリーランスの翻訳家、母は養護教諭だった。どんな子どもだったのだろうか。

「特に父が厳しくて、21時以降はテレビは禁止でした。番組もNHKのみ。それなので、周囲の友だちと話が合わなかったです。特に女子の集団に馴染めなかったです。厳しい親に育てられたので、自己肯定感は低め。引っ込み思案で、本ばかり読んでいるような子でした。作文が得意で、数学が苦手でした。中学校の文集には『ライターになりたい』と書きました」

小6の時に、母の転勤に伴い、都城市の僻地に引っ越した。全校生徒5人という少人数の学校に通い、中2までは母と2人暮らしをする。母と2人暮らしになって初めて民放のテレビを観られるようになったという。そんな彼女だが、第一志望の大学は落ち、「女子大御三家」と言われる日本女子大学の文学部に進学し、上京する。 女の子に溶け込めないかと思いきや、女子大での生活には、難なく馴染めた。

「1人でいても何も言われなかったんです。大学時代は、ゼミで発表もしました。すぐに、バンギャ(バンドギャル)デビューしました(笑)好きなバンドのおっかけをしながら、出版社で雑用のバイトをしていました」

順調な大学生活だったが、パン屋のバイトをした際には、3週間で辞めてしまった。

「池袋駅構内の改札前にあるパン屋さんでした。 降車した人が一気にお客さんとして押し寄せるので、レジを打っている暇がなく、暗算で会計しないとならなかった。お釣りを間違えたりして、すぐに辞めることになりました」

その当時は、自分の障害には気づいていなかったという。

経理なのに暗算ができない、備品管理もできない

就職活動は、2008年9月15日にアメリカの大手投資銀行であるリーマン・ブラザーズが経営破綻したことをきっかけに、世界中の金融市場に大きな影響を与えた“リーマン・ショック”の年と重なった。

「就職活動は大変でした。出版社への就職は考えませんでした。バイト先の出版社の女性社員は、過労で倒れていく。 男性社員は精神を病む…そういう環境で働けると思えませんでした。結局、建設会社の経理事務の仕事に就きました」

やっと掴んだ内定だったが、経理なのに、計算ができない・備品の管理が致命的に苦手だった。

「3年でうつっぽくなって辞めました。月曜日の朝礼の時に、倒れるようになったんです。その時は、体の問題だと思っていました。今、考えると、適応障害になっていたのかもしれません」

姫野さんは、25歳の時に、フリーランスのライターに転身する。

発達障害診断に「ホッとした。納得がいった」

ライターとしての仕事は順調に売上が伸びて行った。

「すぐに売上30万円くらいになりました。だけど、土日も休みなく、13時間働いていました」

30歳の時に、プライベートでは恋愛に悩み、不眠になり心療内科を受診した。 当時、NHKで発達障害に関する番組があり、自分もそうではないかと疑っていた姫野さんは、16歳から90歳11ヶ月までの対象者を対象とする成人向けの知能テスト(WAIS-IV)も受けることにした。 結果、発達障害と算数LD、その二次障害で、双極性障害・摂食障害の診断も下る。 診断を受けた時はどんな気持ちだったのか。

「算数には、小学校3ー4年生の頃にはついていけなくなっていました。他の科目は100点を取れるような問題でも、算数だけは60点しか取れないなど。パーセンテージの計算は今でもできません。 ですので、原因が分かって、ホッとしたし、納得がいきました」

診断が下った後も、2020年の新型コロナウィルスのステイホーム期間中に、孤独からアルコール依存気味になった。 元々、食事に興味がなく、お腹が空いた感覚を持ちにくかった彼女は、1日300キロカロリーほどしかとっておらず、お酒とうどん1玉で過ごすような日が続いた。 彼女の精神はなかなか安定しなかった。だが、夫との出会いで生きづらさからくるそういった症状は、軽減していった。

結婚と妊娠、そして未来へ

34歳の時に知り合った今の夫は、元々、姫野さんのブログを読んでいた人で、障害特性に理解があるという。 3年間付き合った後、37才で結婚した。

「片付けが苦手な私を、夫がカバーしてくれます。 私は、机に置き場がなくなると、床に物を置いてしまう。夫がまとめて、片付けようと言ってくれ、甘えています。 アルコール依存は、夫と知り合う前は、鏡月のボトルをジャスミン茶で割って、とにかくアルコールを効率的に摂取することしか考えていませんでした。夫はいい芋焼酎が好きなので、“量より質”になり緩和しました。 食事も、やはり夫がグルメなので、いいものを食べるようになりました」

2025年3月には妊娠が分かる。過食嘔吐もあった彼女は、生理が不定期で、妊娠5か月まで気づかなかった。だが、食事制限に苦しみながらも、取材の翌日(2025年8月28日)、破水し、母になろうとしている。

プレ母として思うこと

「発達障害は遺伝要因もあるので、子への遺伝は心配しています。ですが、そうなったら、療育に通わそうと思っています。何とかなると思っています」

忙しく働く姫野さんだが、出産後も仕事は続けるつもりだ。 最後に他の「生きづらさ」を抱える人たちに伝えたいことを聞いた。 「私は夫と知り合ったことで何とかなっています。 他の発達障害の人にも、苦手なことは避けるなど、生きづらさを軽減する方法は必ずあります。 生きづらさはなくならないけど、軽減することはできます」 これからは、母となった彼女の発信に注目したい。

姫野 桂著『心理的虐待~子どもの心を殺す親たち~』

姫野 桂さん

今回お話を聞いた方

姫野 桂さん

フリーライター

1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。

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