介護ライター田口は見た!介護現場のひそひそ話

第4回 医療介護をささえる人たち

第十話 夫との死を受け入れた認知症の女性

今回は、筆者が原作をした認知症実話漫画「認知症が見る世界」に掲載されなかった話をご紹介する。「認知症が見る世界」の作画を担当した吉田美紀子さんは、漫画家であり現役の介護ヘルパーだ。それだけに認知症の方の描写にもリアリティがある。ぜひ、書店等でみかけたら手に取ってもらいたい。
でこさん(女性 70代)は記憶障害や時間の概念があいまいで、日付が分からない・何時間経ったかなどの認識が持てないなどの症状がある認知症だ。
そんなでこさんは、元内科の女医さんでバリバリに働いていたキャリアウーマンだった。そのためかヘルパーの世話になるのを嫌がった。女学校を卒業している気位が高く、パジャマの上からスカーフを巻くようなおしゃれな女性だ。
亡くなった夫は年上の大学教授で、でこさんは夫をとても尊敬していた。夫婦共稼ぎだったが、夫が亡くなるまでは、必ず晩御飯はでこさんが手作り料理を振る舞う仲の良い夫婦だった。
配偶者の死により、認知症の症状が出たり、症状が進行したりする人も多い。でこさんの場合も、夫が死んでからしばらくして、認知症の初期症状が出始めた。
でこさんは、木曜日~金曜日にショートステイ施設に泊まり、他の日は娘2人が分担してでこさんの自宅に宿泊して面倒をみていた。
木曜日の夜はショートステイ先に宿泊するのだが、ショートステイ先にも亡き夫の写真をかかさず持っていっていた。そして、19時になるとデイサービスから帰ると言い出す。「だって、夜8時からは夫と食事だから、帰らなきゃ」という。
だが、時間や日付の概念があいまいとなっていたため「まだ時間じゃないですよ」「今日は女子会をする予定だったじゃないですか」といったヘルパーの言葉にごまかされていた。
認知症の症状はかなり進行していたが、ふとした瞬間に女医としての顔に戻ることがあった。
一般的に認知症が進行すると、伴侶の死を受け入れることは難しい。環境の変化による不安から認知症が進行することがあるのだ。それを恐れて告げないことがほとんどで、告げるとしても慎重にするという。
それなので、ヘルパーたちはでこさんに、夫がもう亡くなっていることを告げるか迷った。しかし、時折、女医としての表情に戻るでこさんを見ていて、彼女であれば夫の死を受け入れられるのではないかと思った。
そして、デイサービスで宿泊の日、でこさんがいつものように「だって、夜8時からは夫と食事だから。帰らなきゃ」と言ったときに、ヘルパーが意を決して「もう旦那さんは亡くなったじゃないですか」と告げた。
その言葉を聞いたでこさんは「そうだった」と言い、ショートステイ先から戻ると、自宅の仏壇にやっと夫の写真を収めたのだった。
認知症になると「家族が変わってしまった」「別人になってしまった」と介護する側は感じるが、それまで生きてきた人生の記憶が全てなくなるわけでも、全く別人になってしまうわけでもないと感じたエピソードだった。
環境の変化で認知症を発症したり、症状が進行したりするケースはとても多い。本人のためを思い、自宅をバリアフリーにリフォームしただけで、症状が進行してしまう人もいる。特に施設に入所する際は、昔から使っている家具を持ち込めるようになっているところもあり、介護施設側も環境の変化に気を配っている。元々住んでいたような古民家風の家を介護施設としている事業所も、筆者が取材しただけでも数件あった。
施設選びの際には、参考にして欲しい。
田口ゆう

「認知症が見る世界」表紙©吉田美紀子・田口ゆう/竹書房https://amzn.to/3OR8WrH/

第十一話 認知症になっても会社に通うために徘徊する男性たち

今回は、筆者が原作をした認知症実話漫画「認知症が見る世界」に掲載されなかった話をご紹介する。この漫画は介護する側ではなく、当事者の気持ちにスポットを当てたものだ。自分の大切な人や利用者さんがどんな気持ちで日々を過ごしているのか、想像しながら読んでもらえると嬉しい。
認知症の取材をしていると、男性が徘徊する理由で一番多いのが「通勤」だ。いかに日本の男性が仕事だけを生き甲斐にし、仕事ばかりしているのかが分かる。男性は女性と比べて、ご近所付き合いや趣味に使う時間を持っていないケースが多い。いわゆる「まだらボケ」の状態でも、会社に通勤しようと徘徊してしまうのは、切ないものがある。
東京近郊に暮らすAさん(男性 70代)は、記憶障害・見当識障害があり、デイサービスに通っても1時間も経たずに「帰る」と言い出し徘徊する、いわゆる「困難事例」と呼ばれる人だった。
認知症はある日、突然なるわけではない。Aさんは営業の管理職として、後輩育成をしていたが、早期退職している。その頃には、認知症の症状に自覚があったのではないかと、デイサービス事業所のS施設長は振り返る。
S施設長はある日、そんな帰宅願望の強いAさんを家に送る車内で、忘れられない会話をすることとなる。S施設長の「どうして帰りたくなっちゃうんですか?」との問いに、Aさんは自分の心境を語りだした。
「自分がいない間に、かみさんと娘夫婦が自分の未来を決めてしまうのが怖い。欠席裁判で施設行きが決まったりすると思うと、いてもたってもいられない」と震えながら言った。その恐怖が分かったS施設長は、Aさんの孤独な心に触れ、涙が止まらなくなった。誰だって、自分の未来は自分で決めたい。管理職としてバリバリ仕事をし、一家の大黒柱だった男性であれば、余計にそう思うだろう。
そして、「とにかく忘れちゃう。気が付かないうちに失敗したりおかしな行動をしたり。仕事をしていた頃もそう。だから、いつも周りの人の顔をうかがって、自分の行動の答え合わせをしている。だって、記憶がないわけだから、他に確かめようがない。自分という存在が常に不確かでそれが精神的にきつい。仕事を辞めた後だって、女房が変な顔をしていて、また何かやっちゃったなって思うんだ。すごく怖いよ。真っ暗な舞台で一人だけスポットライトが当たっているみたいに感じる」と続けた。
結局、Aさんは症状が進行し、グループホームに入居することになった。グループホームの職員たちはAさんにどういった言葉をかけたら、入居してくれるかと考えた。そこで、仕事人間だったAさんのことを考え「24時間泊まり込みのお仕事があるんですが、手伝ってもらえませんか?」と誘った。
しばらくして心配になったS施設長は、Aさんの様子を見に行った。そこには、生き生きとしてグループホームでの雑務をこなすAさんの姿があった。今もAさんはそのグループホームで幸せに暮らしている。Aさんが何も分からなくなってしまったのか、自身の現状を分かった上で受け入れたのかは分からない。
男女関係なく、自分が必要とされることは、認知症になろうと生き甲斐になることがよく伝わるエピソードだった。
認知症の怖さは、決して他人事ではなく、自分や自分の身近な人がかかってもおかしくないところにある。「平成29年度高齢者白書」によると、2012年は認知症患者数が約460万人、高齢者人口の15という割合だった。2025年には5人に1人、20%が認知症になるという推計もある。超高齢化社会を迎えている今、身近な認知症の方とどう接していくかは、高齢者の尊厳に関わるデリケートで大切な問題だ。
田口ゆう

漫画「認知症が見る世界」より抜粋©吉田美紀子・田口ゆう/竹書房https://amzn.to/3OR8WrH/

田口 ゆう
「あいである広場(https://ai-deal.jp/)」編集長兼ライター。認知症実話漫画「認知症が見る世界(https://amzn.to/3OR8WrH/)」原作者。マイノリティ向け記事やルポ記事の執筆を中心に活躍。

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