介護ライター田口は見た!介護現場のひそひそ話

介護ライター田口は見た!介護現場のひそひそ話 第十二話~第十四話

第十二話
実父に認知症の初期症状認知症実話漫画の原作をしている間に進行していた症状

認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実。原作が発売になって5カ月。
私はそれまで障害福祉に関する取材記事をメインに書いていたので、実は高齢者介護に関する取材をしたのは初めてだった。漫画の原作のための取材から、漫画家さんによる作画、その漫画の連載と、出版までには1年ほどかかっている。当時はデイサービスセンターの施設長に実際のエピソードを聞いており、他人事として原作をまとめていた。
そんな中、実の父に異変が起きていた。約半年ほど前に、父は勤め先の学童保育のパートを解雇された。今年で77歳になる父の解雇は、年齢的に体力が落ちていたので、子どもの相手はきついのだろうと当たり前だと思った。しかし、父の年金の受給額では、生活していくことはできない。すぐに新しい仕事を探すと思っていたが、なぜか一向に動かなかった父。求職活動をするどころか、家に引きこもることが増えていった。そのことも、楽しんでやっていた仕事だったので、落ち込んでいるのだろうと思っていた。
そして、生活に困窮しだした。電気やガス、携帯電話料金などを滞納するようになった。働いていた頃は、孫に会いに我が家にきていたが、お金の無心ばかりするようになる。電話が止まって、つながらないことが増えた。
私と息子はここ数年、父の家に行くことがなかった。父は母と熟年離婚して以来、一人で隣の区に暮らしていた。今思えば、父の様子がおかしいと最初に思ったのは、いきなり我が家を訪ねてきて、無表情で「電話がつながらなくても、お父さんは訪ねてくるから平気なんだよ」と言って帰っていった時だ。私が家にいなかったらどうするのか?家の前で待っているのか?モヤモヤした気持ちを抱えたまま、また数か月が経った。

父宅が汚部屋に!
そして、梅雨が明けて、だんだんと暑くなったある日、父に電話をすると呼び出し音はしても出ない。熱中症で倒れているのではないかと心配し、息子を連れて久しぶりに父宅に行った。
電気が消えた部屋に粗大ごみに埋もれた父が布団で眠っていた。唖然とした。トイレからはすえた匂いがする。息子はその匂いで室内に入れない。恐る恐る声をかけると、私や息子を見ても、しばらく無表情で見つめていた。「どうしたんだ?」と立ち上がるが、足がフラフラしていて、今にも転びそうだ。話しかけても反応が鈍い。きれい好きで、部屋に物を置かない父だったが、こたつには食べかけの鍋が放置してあった。そして、どこで拾ったのか分からない、汚いこたつがもう1台。そして、やはりボロボロの座椅子があった。トイレは壊れたまま放置していたようで、便器が変色し、異臭がする。

話しかけてもかみ合わない。おかしい。はっきりと思った。

軽度認知症の疑いを主治医に指摘される
ここで、取材で聞いた話が生きた。父に「片足で立つことはできるか」「今は何時?」「今日は何曜日だっけ?」などの身体機能や認知機能の低下の確認をした。答えは「体調によっては片足で立てない」「今は昼頃(実際は朝の9時)」「何曜日なのか分からない」だった。
そして、父は続けて「(行政の)見守りサービスを頼みたい」「倒れて気づかれないのが不安だ」と言った。「お上の世話になんかなってたまるか」が口癖だった父が、そんなことを言い出したのだ。本人も何かがおかしいと感じていると分かった。私は家に帰ると、すぐに父の主治医に相談のメールをした。
父の主治医からは即返信があり「軽度認知症の疑いがある」とのことだった。私は仕事柄、周囲に介護関係者が多かったので、どんな手続きを取ればいいのかの指示をあおいだ。
まさか1年前まで学童保育で小学生たちを追いかけていた父が認知症になるなんて。そんなショックを抱えながら、私は必要な手続きを取ることにした。

実際の写真 田口ゆう撮影

「認知症が見る世界」表紙©吉田美紀子・田口ゆう/竹書房
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第十三話
アルコール依存症だった父の認知症、子どもはどんな親でも介護すべきなのか

父は私が小さい頃から、アルコール依存症だった。昔のマスコミ関係者だったので、お酒を飲みながら会社で企画会議をするという文化があった。仕事のあと、さらにお酒を飲む。そして、帰ってくるとまた飲酒。連続飲酒が習慣になっていた。そして、酔うと、子どもだった私に暴力を振るうこともたびたびあった。私に子どもが産まれてからは、孫を溺愛するお爺ちゃんになったが、それでも酔うと孫にも言葉がきつくなることがあった。それなので、私は父とは距離を置いて付き合っていた。
介護関係者のアドバイスに従って、まずは要介護申請の手続きを勧めた。また、年金だけでは生活が成り立たなくなっている父に、生活保護受給の手続きも同時に進めた。
長期のアルコール飲酒は脳を委縮させる。父の主治医からは「お父さんはこのままではアルコール性の認知症を発症する」と常々、言われていた。だが、父は、減酒はしても断酒をすることはなかった。アルコール依存症は「否認の病」と言われるが、自分がアルコール依存症だと認めることはなかった。周囲から見ると、人間関係はお酒のせいで壊れ、父のパート先の知人に聞くと、昼間から酒臭いことを職場で注意されることもあったようだ。
父に介護が必要になるかもしれないとなったときに思ったのは「在宅で介護していたら私は父を虐待してしまう」だった。小さい頃の私とは違う。過去、自分に暴力を振るっていた相手が弱った状態になった時、冷静に接することができるのか。その気持ちは要介護認定の申請をしていても、頭から離れなかった。

自分と同じような気持ちで在宅介護をしていた恋人
真っ先にそういった葛藤を打ち明けたのは、同じようにアルコール性認知症の父を在宅で看取った介護関係の仕事をしている恋人だった。
彼は私と似たような環境で育ち、20年以上前に、たった一人でアルコール性の認知症になった父親の介護を数年経験している。当時は介護保険サービスも浸透しておらず、彼は仕事をしながら父親の在宅介護をした。
彼の父親は私の父より酷いアルコール依存症患者で、仕事を終えて急いで家に帰ると、部屋の窓ガラスをゴルフクラブで全て割っていたこともあったという。その介護は壮絶で、アルコール性の膵炎で手術後にもう酒を飲める体ではなかったのに、酒を飲み続けていた。尿失禁や便失禁もあり家はめちゃくちゃな状態だった。
彼は「在宅介護は絶対にやめろ。今は介護サービスもあれば、老人ホームも飽和状態だ。
生活保護を受給していても、入れる老人ホームはいくらでもあるし、自分が介護をしていた頃とは違う。プロに頼りなさい。それにはまず、生活保護受給と要介護申請の手続きを同時にして、ケースワーカーやケアマネージャーに頼れ」と自分の経験から話してくれた。
私の気持ちはとても楽になった。私の子どもはまだ小学生で、私はシングルマザーだ。父の介護まで抱えたら、私自身の生活が成り立たなくなる。プロに頼るという選択肢がある時代に父が発症してよかったと心の底から思った。
読者の皆さんにも私と同じように親に対して複雑な気持ちを抱えている人、または親子関係は良好だけど介護離職を考えている人もいると思う。しかし、育児と違い介護にはゴールがない。医療の進歩で、認知症になろうとすぐに死ぬわけではない。親と共倒れをする前に、介護保険サービスを頼って欲しい。

要介護申請とアルコール依存症
とにかく介護保険サービスに頼ろうと決心し、要介護申請を勧めていった。要介護申請は、地域包括支援センターや役所の老人介護サービスの窓口から可能だ。どれくらいの介護時間が必要なのかを調べる要介護認定の判定が下りるまでには、2~3ヵ月かかる。その間に、生活保護の申請は受理され、ケースワーカーが先に決まった。
現在の父は高齢になったこともあり、暴力を振るうことはない。だが、介護サービスを利用するときにも父のアルコール依存は問題となった。認知症を発症すると、環境の変化により認知機能が大幅に落ちることがある。アルコール依存症を認めない父を断酒させるとしたら、精神病院のアルコール依存症病棟に入院するしかない。そうすれば、認知機能は大幅に落ちるだろう。今は会話ができている父が退院後には、自分の顔を忘れているかもしれない。介護漫画の原作で取材した話が、リアルな現実として迫ってきた。

第十四話
介護によって変わる親子関係、父から他人だと間違われる

父の軽度認知症の疑いが出てから、私は周囲の介護関係者に頼った。親の介護を現在抱えている人・将来的に直面した時には、決して1人で抱え込まないで欲しいと思う。1人または家族だけで抱え込むことが、虐待などの悲しい事件につながることも多いからだ。
そんなときに私がよく相談したのは、介護漫画の原作の際に、取材させてもらった東京都西多摩郡瑞穂町でデイサービス「二本木交茶店」の施設長をしている坂本孝輔さんだ。
坂本孝輔さんは私と同時期に『認知症の人の「かたくなな気持ち」が驚くほどすーっと穏やかになる接し方』という、認知症の患者さんとの接し方を易しく書いた本を出版している。Amazonの介護ジャンルでもトップの売り上げを誇るベストセラー本の著者であり、認知症介護のプロフェッショナルだ。
私自身が父と接するときに参考にしている良書なので、親の介護で煮詰まっている方には、ぜひ読んでもらいたい。

介護は自分が後悔しないためにするセレモニー
坂本さんには自分の生い立ちや父に対する気持ち、介護に対する葛藤を正直に話した。その中で私の心に響いたのは「介護は葬式と同じで、遺される側に後悔がないようにするセレモニーだと思う。だから、プロに任せて、自分がちょっといいことをしたと思える範囲で、お父さんに関わるといいよ。それに介護は介護する側にとって癒しになることもある」という言葉だった。
私自身が取材を通して、認知症当事者の気持ちを想像して書こうと、それはあくまでも想像だ。当事者の気持ちは、やはり分かりきることはない。父に対して良かれと思ってしたことが、本当に父が望んでいることなのかも分からない。それなので、介護は究極の自己満足だと思う。
だけど、介護が自分の癒しになることなどあるのだろうか。それは要介護認定の調査のときから徐々に理解できるようになった。

「お世話になります」と娘の私に言う父
認知症はある日突然、何もかもが分からなくなるわけではない。だんだんと自分の身の回りのことができなくなり、家族の顔や名前が一致しなくなっていく。時間や自分がいる場所が分からなくなっていく。たぶん父が学童保育のパートを首になった背景にも、認知症の初期症状が関係していたのだと思う。
役所の人や要介護認定の調査員が自宅を訪問すると、父は自分がいかに元気かアピールする。他人を目の前にすると、緊張感があるのか、その時だけはしっかりするというのは、よくあることらしい。だけど、認知症の初期症状が出ているので、話がところどころ食い違っている。きちんと要介護度を判定してもらうために、私は調査員に事前にメモを渡しておいた。
このメモはとても役に立ち、調査員が父の話をうのみにすることはなかった。調査が終わったのち「お父様はこういっていたけど、事実はこうなんですね?」という確認があった。理解してもらえたようだった。
そして、調査員が帰り、父と2人になった。どこまで理解できるのかが分からないので、生活保護の手続きを進めていること、父は見守りサービスを希望しているが、父の住む自治体にはそういったサービスがないので、介護保険サービスを利用する方がいいと説明した。
説明を聞いた父は、娘の私に深々と「お世話になります。どうもありがとうございます」と頭を下げた。
どう考えても、私と役所の人を間違えていたのだが、あんなに礼儀正しい父の姿を見たのは初めてだった。酔うと家族に暴言を吐いていた父だったが、他人にはこんな感じだったのかと知った。
忙しい暮らしの中で、自分の時間を切り詰めて様々な手続きをしていた私は、自分の顔を忘れていることにショックを受けたが、同時にお礼を言われてほっこりした気持になった。
父と私の関係はこれからも変化し続けるだろう。だけど、介護は決して悲しく悲惨な思いをするだけではないと思う。自分の顔、孫である息子の顔を忘れてしまったとしても、そこに新しい関係が築けるのであればいいと思えた。「ありがとうございます」の一言で、私は今までの恨み・憎しみが半減し、とても救われた気持ちになった。

『認知症の人の「かたくなな気持ち」が驚くほどすーっと穏やかになる接し方』(藤原るか、坂本孝輔著)すばる舎
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今回お話を聞いた方

田口 ゆうさん

あいである広場編集長兼ライター

認知症実話漫画「認知症が見る世界(https://amzn.to/3OR8WrH/)原作者。マイノリティ向け記事やルポ記事の執筆を中心に活躍。

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