介護ライター田口は見た!介護現場のひそひそ話

田口は見た

第六話 普通学級か支援学級か、はたまた支援学校か小学校の学級選びで決まる子どもの未来

障害をお持ちの親御さんにとり、一大イベントの「就学相談」も佳境に入る時期だ。私の子は、現在、東京都内某区の公立小学校4年生で、軽度の発達障害児。いわゆる発達障害グレーゾーンと呼ばれる、健常児と軽度の障害児の境目にいる子だ。4年以上前になるが、今回は、我が家の選択と4年後の現在について書きたい。
就学相談は、不登校になるでもなければ、健常児の親御さんには縁がない話だろう。健常児の場合、自分が住む学区内の学校に進学するだけだ。就学相談は、毎年、6月頃から秋にかけて始まる。主に障害を持った子どもに対し、就学相談委員会(小児科医や心理士、専門家で構成される)に、普通学級・支援学級(普通学校もある学校もある公立学校に併設されている)・支援学校(障害が重いお子さん向け)のどこに在籍するのがいいのかを判定してもらう。知能検査やその他のチェック項目により、普通学級に籍は置くけれど、集団生活でついていけない部分は通級学級で補うという判定が出ることもあれば、普通学級では難しいから、支援学級・学校という判定が下ることもある。
我が家の場合、保育園は健常児と一緒に過ごしてきた。療育センターのカリキュラムは、息子には簡単すぎて通っていなかった。それなので、判定も普通学級と支援学級で就学相談委員会の意見も分かれた。入学直前まで、子どもと普通学級と支援学級の見学に行き、迷いに迷って決めた。
息子の場合、グレーゾーンだったこともあり、最終的には、親の判断が大きかった。息子は結局、支援学級に入学した。決め手になったのは、普通学級の授業を見学していた息子が教室に入るのを怖がり、1学年3人程度の支援学級の教室にはすんなり入って行ったことだ。学校にいる時間は長い。その長い時間を過ごす場は本人の意見を尊重したかった。4年生になった今、息子は自分の障害特性を理解し、得意な部分を伸ばすために、交流学級(支援学級の子が普通学級で勉強すること)を経て、普通学級に移ることを目標に頑張っている。
ほとんどの親御さんは子どもや就学相談の判定に従うが、中には親のエゴで普通学級に無理やり子どもを入れる親もいる。そういった子どもはいったいどうなるのだろうか?ここで、4年生で普通学級から支援学級に移ったA君の例をご紹介する。
A君と息子は同い年で、学童でも一緒だった男の子だが、発達障害の程度は重い。人とのコミュニケーションが成り立たない子だ。普通学級に4年間通ったA君は普通学級に「ただ在籍している」だけだった。授業もあまり理解できず、クラスのお友だちとのコミュニケーションも取れず、ひたすら座って授業を聞いているだけだ。朝から2時くらいまで理解のできない授業、会話できる子もいない中で過ごす4年間を想像してみて欲しい。A君は何も身につかなかったならまだいいが、お友だちに無視される・いじめられるなどし、二次障害(本来の発達障害に加えて、うつや不安障害などを患うこと)を発症した。その後、支援学級に移ったものの、支援学級に1年生からいる子どもたちは勉強面では遅れているが、基本的な生活リズムは身についている。支援学級では、勉強は遅れるものの、挨拶や着替え、感情のコントロールなど、生活に必要なことを重点的に学ぶ。結局、A君は本来なら合っているはずの支援学級にも適応できず、いじめられている。
学習面のことを考えると、普通学級で学ばせたいという親御さんの気持ちはよく分かる。支援学級は中学校までしかないので、その後の進路を考えると、普通学級で学ばせたいのが親心ではないか。だが、支援学級の子が、中学校卒業後は全員、就職するかといえばそうではない。学習面は塾や家庭学習で補うことができる。高校からは公立高校を受験し、大学に行く子も少ないけれどいる。親のエゴや見栄で子どもに合わない学級を選ぶことは、結果的に子どもを不幸にしかねない。子ども自身の将来を見据えて、選択して欲しいと思う。
田口ゆう

第七話 支援学級から普通学級への転籍のステップ、東京23区は福祉の世界で別の国!?

年長の時の就学判定では意見の割れた、現在小学校4年生の息子は、支援学級から普通学級への転籍を考えている。息子の通う学校は、東京23区内でも障害者教育に力を入れていることで有名で、入学をしたくて、地方からわざわざ学区内に引っ越してくる親御さんもいるほどだ。だが、知能検査の結果、勉強は中学生並みにできる息子にとり、支援学級は学習面で物足りなくなった。息子本人が「普通学級に行きたい」と言ってきたことがきっかけとなり、転籍の手続きを進めていくこととなった。
福祉関係者に取材するとよく言われるのが、「東京23区は福祉の世界で別の国」という言葉だ。私自身、TwitterやSNSで自身の環境を発信すると、恵まれている・そんな制度があるのか・大変そうだなど、住んでいる区域でずいぶん障害児を取り巻く環境が違うのだと感じてきた。同じ東京23区内ですら、違うと感じる。障害児を育てていくうえで、地域格差があるという話をご紹介したい。
まず、ご存じない方もいると思うが、障害児(者)のケアにも、高齢者のケアの世界でいうならケアマネージャーのような存在がつく。それが相談支援専門員だ。我が家は保育園入園前についてもらったが、相談支援専門員自体の人数が不足しているので、ついていない家庭も多い。相談支援専門員は、1週間のケアプランを立ててくれる。例えば、「火曜日の7時30分〜7時55分までは、〇〇事業所による移動支援で通学、8時〜14時10分は学校、14時20分〜15時は〇〇事業所の移動支援、15時10分〜17時 学童 17時10分〜18時 △△事業所による移動支援 18時10分〜20時00分は夕飯、20時〜20時30分 お風呂、21時就寝」といった感じで、全てがケアプランにより決まっている。
息子の小学校では、支援学級に通う児童は、一人で通学することが許されていない。親もしくはヘルパー事業所が必ず付きそうことになる。家から学校、学校から学童、学童から家の1日3回、ヘルパー事業所が入る。ヘルパー確保は私が住む区の親御さんにとり、大きな問題だ。確保できなければ、親はまず働くことができない。
子どもに障害があることが分かると、まずは療育センターに通うことになるのだが、23区であれば、お母さんが仕事を辞めることが前提となっている。障害の重さやヘルパーさん確保の具合で、中学校まで続く問題なのだ。
そして、学期が終わる・子供に問題や変化があった時には、関係者会議が開催される。関係者会議とは、相談支援専門員・学校・移動支援のヘルパー事業所・放課後等デイサービス事業所・学童・ショートステイ事業所・親など、息子のケアに関わる人たちが一斉に集まり問題を共有する場だ。福祉に熱心で、なおかつ区の面積が狭い我が家のエリアでは関係者会議は集まりが良いと言われている。時には、医師や臨床心理士などの専門家がメンバーとして参加してくれることもある。今回も学校の転籍の件で集まったが、そこには教育委員会も参加してくれた。
この関係者会議は地域差がかなりあるようで、相談支援専門員・関係者会議の存在すら知らない親御さんもいる。
転籍にあたり、いきなり1クラス10人程度の支援学級から、30人ほどの普通学級に移ることは子によっては不適応を起こしかねない。なので、支援学級にいながら交流学級(支援学級から特定の科目の時のみ、普通学級で勉強する)から始めることにした。そして、支援学級と普通学級の学区域は異なるので(支援学級の学区域の方がかなり広い)普通学級の学区域に引っ越すか、もしくは自分の住む学区域の普通学級に転校することとなる。私はあまりの引っ越しエリアの狭さに驚いた。いざとなったら支援学級に戻ることができる学区域を考えると、番地ごとに家を探すしかないのだ。
我が家は私の仕事の関係で、東京都下に暮らしたほうが便利なエリアでもある。あまりにも引っ越しのエリアが狭いこともあり、私は都下の某市の市役所に連絡し、どういった制度になっているか聞いてみた。そこでまた驚くことになった。
某市には、同じ東京都なのに、情緒学級(主に発達障害の子が通う支援学級のこと)が存在しなかった。重い発達障害の子は知的障害の子とともに通う学級があり、軽度の発達障害児は普通学級に在籍するというのだ。そして、よほど障害が重い子でもなければ、通学や移動にヘルパー事業所や親の付き添いは必要ない。市役所の方も驚いており「息子さんは、1人で学校に通えないのですか?おそらく我が市であれば、普通学級に相当するお子さんだと思うのですが」と言われた。
地域格差があるとは聞いていたけれど、同じ東京都でも、ここまで差があるのだ。息子はヘルパーさんと移動しているが、1人で、バスで出かけるくらいなので、通学ももちろんできる。ただ規則でできなかっただけなのだ。私は自分が住むエリアの制度は、過剰支援で、自立する力を奪うのではないかと思ったくらいだ。
最終的に転籍となると、入学時と同じく、就学相談委員会に判定をあおぐことになる。我が家は都下に引っ越すか、区内でステップを踏むのかの結論をまだ出していない。障害児を持ったご家庭はそれぞれの悩みがあると思うが、後悔のない進路を選んで欲しい。
田口ゆう

今回お話を聞いた方

田口 ゆうさん

あいである広場編集長 兼 ライター

認知症実話漫画「認知症が見る世界」原作者。マイノリティ向け記事やルポ記事の執筆を中心に活躍。

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