介護ライター田口は見た!介護現場のひそひそ話
第四話 幸せな妄想に生きる認知症のお婆さん
今回、お話をうかがったのは、東京都内の大手特養老人ホームに勤務する介護士のYさん(40代女性)だ。Yさんが勤める老人ホームには、200名ほどの認知症のお年寄りが入居していて、様々な症状の人がいる。有料老人ホームと違い、特養老人ホームは公営だ。それなので、社会福祉の観点から介護度の重い方や低所得者の保護と支援に重点を置いている。また、原則として低価格で終身に渡って介護を受けることができることから、終の棲家になることが多い。Yさんはベテランで、その施設で、多くのご老人の看取りを経験してきている。
認知症の老人は、認知機能が低下し、自分の置かれている状況を理解できなくなる。「不穏(ふおん)」という、急に攻撃的になったり、興奮状態が抑えられなくなったりする状態になる人も多い。特に夕方5時過ぎあたりの、周囲が暗くなるころに、1人が「不穏」になると他の人にも伝染し、みなが一斉に「不穏」になることがある。職員や自分自身が悪魔だと被害妄想し暴れる人もいれば、自分は天皇だと妄想し、職員に威張り散らし、玉音放送の再現をする人もいる。そんなとき、Yさんたちスタッフは、時には不安を取り除き、時には気をそらして対応する。自分は神様だと妄想する人は「神様モードに入った」、悪魔だと「悪魔モードに入った」など、それぞれの症状に名前をつけ、不穏な時間帯を乗り切っている。もちろんスタッフたちはその妄想を否定したりはしない。本人たちにとっては、その妄想は現実なのだから。
認知症の妄想は被害妄想、物盗られ妄想(介護士や家族などに物を盗まれたと信じる妄想)など、不安になるものが多い。だが、Yさんが担当していたお婆さんは、とても幸せな妄想の中に生きていた。自分は旧華族のお嬢様で、恋人は再放送枠に出演している刑事ドラマの主人公の「豊」だと妄想していた。再放送が始まる5時になると、職員がお茶を運ぶと、上品な仕草で「ありがとう」とお礼を言い、恋人の「豊」との思い出話が始まる。
「豊さんはとても優しい」「今日、豊さんは仕事が忙しくて、会えない」「最近、豊さんはテレビで売れてしまったので支えたい」など、とても嬉しそうにYさんたちスタッフに話す。
もちろん、お婆さんが俳優の「豊」と付き合っていたという事実はない。家族に聞いたところ、お婆さんは女学校卒業後、60代で亡くなった旦那さんとお見合い結婚をしている。2人の子どもにも恵まれ、家族関係は良好だったようだ。
きっと認知症になる前から、お婆さんは「豊」のファンだったに違いない。「不穏」が広がるフロア内で、テレビを見ながら「豊」との思い出を語るお婆さんにYさんはとても癒されているという。Yさんはその妄想にうなずきながら、お婆さんをケアする時間がとても好きだ。
Yさんはその幸せそうな顔を見て、ドラマの再放送枠の主演男性のファンになって、老後を迎えたいという。不安になるような妄想をしているよりも、「華族のお嬢様で、売れっ子俳優の恋人」だという妄想の中に生きられるほうが幸せだと思うからだ。筆者とYさんはしばらくの間、どのドラマが定期的に再放送されるか、どの俳優となら幸せな妄想になりそうかなど、話に華を咲かせた。
筆者は取材を終えて、自分だったら誰の恋人として老後を過ごしたいかと想像をした。再放送枠に出演しそうな俳優なのだから、人気ドラマの主人公でないと意味がない。これを読んでくださっている読者の方も、今から記憶に残りそうなヒットドラマをチェックしてみるのもいいかもしれない。妄想の中では、その俳優や女優とどんな恋人生活でも送れるし、結婚だってかなうのだ。そう考えてみると、認知症になるのも怖いことではないかもしれない。
第五話 おむつへの抵抗感は男性のほうが強い?!40〜50代の介護ヘルパーにリサーチ!
今回、お話をうかがったのは、東京近郊の有料老人ホームに勤務する介護士のMさん(30代女性)だ。Mさんには一回り年上の恋人がいる。最近、その恋人が骨折し、長期入院することになった。新型コロナウィルスの影響で、恋人には面会が制限されていて、電話で入院生活の愚痴などを聞いていた。ある仕事終わり、恋人からとても沈んだ声で電話があった。「トイレが間に合わず、失禁してしまった」という。
Mさんは仕事柄、お年寄りのおむつ交換をするのが日常だ。それなので、男性のおむつに対する抵抗感は知っているものの、「一生ではなく一時の入院生活なのだから、間に合わないのならおむつをしたら?」と軽い気持ちで勧めた。おむつと言っても、種類は豊富で、パンツタイプのものであれば下着とさほど変わらないのではないかと思ったからだ。Mさん自身はおむつに抵抗感はなく、勤務が忙しく、なかなかトイレに行けないときなどは、パンツタイプの生理用品を使っていたからだ。失禁をしてしまうより、一時的におむつに頼ることのほうが合理的に思えた。しかし、恋人は「おむつになったら男として終わりだ」「おむつをするのは男の沽券に関わる」とかたくなに拒否した。
そんな恋人も退院し、復職する時期を迎えた。まだ松葉杖を使用していたが、日常生活に支障がでないほどに回復していた。
復職して1日目、今度は前回よりも深刻な様子で電話がかかってきた。おむつをかたくなに拒否していた恋人は、トイレに間に合わず、会社で失禁してしまったというのだ。病院ではなく、会社だったことで、同僚に見られはしなかったもののショックを受けていた。Mさんはそんな状態だったらなおさら、パンツタイプのおむつを使用したらいいともう一度、おむつを勧めた。しかし、恋人は今回も前回同様の理由で、会社で失禁をしても、おむつだけは絶対に嫌だと言った。
その話を聞いた筆者は、40〜50代の介護ヘルパーたちにおむつへの抵抗感をリサーチしてみた。女性ヘルパーはMさん同様、「抵抗感はあるけれど、生理の時のナプキンと大差ないと思う」「プライドよりも人前で漏らさないほうがいいからおむつ!」と答える人が多かった。女性の筆者も同じ状況ならば、迷わずパンツタイプのおむつで出社するだろう。同僚の前で失禁するほうが恥ずかしいだろう。
しかし、同じ質問を、おむつ交換に慣れているはずの男性介護ヘルパーにすると、反応が全く違ったのだ。「70〜80歳になったら仕方なく受け入れるかもしれないけど、40〜50代だったら自分もおむつなしで乗り切る」「おむつをしたら男として終わりな気がする」「日々、おむつの交換はしているけど、自分がされると思ったら、ものすごく屈辱だ」といったものだった。
男性はどうも「男らしさ」「男としての沽券」にかけて、おむつへの拒否感が強いようなのだ。同じおむつでも、10代半ばより生理用品を使い、子どもが産まれれば自然とおむつ交換を経験する女性と、そうではない男性では拒否感が全く違うようだ。小さい頃から刷り込まれる「男らしさ」とおむつには大きな関係性がありそうだ。
実際に介護の現場でも、おむつ拒否をする理由は、男女で大きく異なるのではないだろうか。男性は沽券やプライドから、女性は羞恥心や貞操観念からの拒否が多そうだ。テレビを観ていても、女性用の尿漏れパットや生理用品のCMは多いが、男性用のものは需要は男女同様にあるだろうが、少ない。
結局、Mさんの恋人は、ケガも完治したが、その間は不便だろうとおむつを拒否して過ごした。Mさんはそんな恋人を「男って生きづらい」と思い、この経験を介護の仕事に活かそうと思ったと語った。今の小学生は、特にトイレで「大」をすることに抵抗があり、学校ではトイレを我慢する子も多いというデータもある。筆者は若いうちから、おむつを疑似体験したり、尿漏れや失禁経験について、明るくオープンに話したりする場が必要なのではないかと思った。
今回お話を聞いた方
田口 ゆうさん
あいである広場編集長 兼 ライター
認知症実話漫画「認知症が見る世界」原作者。マイノリティ向け記事やルポ記事の執筆を中心に活躍。