介護ライター田口はミタ!介護現場のひそひそ話

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第二十三話
デイサービスとキックボクシングジムの併用
高齢者の新たな健康維持のあり方

健康的な老後をどう過ごすかが大きな社会課題
東京都世田谷区豪徳寺に位置するキックボクシングジム「PEACE PACE」では、65歳以上のシニアが活気溢れるトレーニングに励んでいる。その利用者の多くは、従来のデイサービスとこのジムを併用している。彼らがなぜこの二つのサービスを組み合わせるのか、そしてその効果と可能性について探ってみた。
日本では少子高齢化に伴い、健康的な老後をどう過ごすかが大きな社会課題となっている。特に、運動不足による健康リスクを防ぐための取り組みが求められている。そんな中、世田谷区のキックボクシングジムがSNSで話題になっている。このジムの利用者は、従来のデイサービスを利用しながらも、キックボクシングに挑戦する高齢者たちだ。
デイサービスは、生活支援やリハビリテーションを中心に、高齢者の社会参加や孤立防止を目的としている。しかし、そこでの運動プログラムは、参加者のうち最体調が悪い人に合わせて設計されることが多い。これが、すでに一定の運動能力や意欲を持つ高齢者にとっては物足りなさを感じさせる原因の一つとなっている。
「PEACE PACE」では、柔道整復師でもある生井宏樹氏(41歳)が指導者を務め、シニアたちに適したキックボクシングのトレーニングを行っている。生井氏は、元プロキックボクサーで、自身の経験と専門知識を生かし、各々の体の状態に合わせた指導を行っている。

普通のデイサービスだと、年寄りくさい
デイサービスとキックボクシングジムの併用が注目されるのは、左記のような理由からだ。
まず、運動の質が挙げられる。デイサービスでは、集団運動や座位でのレクリエーションが主流で、個々の身体能力に合わせた運動強度を提供するのは難しい。一方、キックボクシングジムでは、パーソナルコースや小規模グループで、より個別化された運動プログラムが提供される。これにより、高齢者自身も運動から得られる満足感や効果を実感しやすい。
次に、ストレス発散と精神的健康の面では、キックボクシングが大きな役割を果たす。デイサービスの静的な活動では得られない、身体を動かすことで生まれるエンドルフィンやアドレナリンの解放感。「ミットに打ち込む音が気持ちいい」と語るシニアたちは、運動を通じてストレスを軽減し、心地よい疲労感とともに健康的な睡眠を得ている。
また、自立心と自信の回復にも貢献している。「普通のデイサービスだと、年寄りくさいことしかやらせてもらえない」と嘆く高齢者が、キックボクシングを通じて新たなスキルを学び、達成感を得ることで、自尊心の向上や自己効力感の増大を体験する。特に、73歳の女性が語るように、「足が上がらないなら、上がるところまで運動する」といった自身の体と向き合う姿勢は、老化に対する前向きな受け止め方へとつながる。
安全性についても、生井氏は「一度も骨折などの事故は起きていない」と強調する。適切な指導により、運動は高齢者の身体を強化する手段となり得る。個々の限界を尊重しながらも、筋肉や関節を安全に活性化することで、日常生活の質を向上させる。

高齢者の孤立対策の場
さらに、社会的なつながりの強化にも寄与している。デイサービスでは、生活支援がメインであるため、運動を通じたコミュニケーションの機会は限定的であるが、キックボクシングジムでは、同じ目標を持った仲間との交流が生まれる。運動後の談笑や、共通の話題を持つことで、シニアたちは社会的な孤立から解放され、元気なコミュニティの一員としての意識が高まる。
実際、ジムの利用者には、デイサービスと併用しながら、キックボクシングに参加する人々も多い。「デイサービスだと座っての運動が多いけど、こちらだと全身を使うから物足りなさがない」と話す70代の男性は、健康維持だけでなく、日々の生活に張りを持たせる手段としてキックボクシングを選んでいる。
この併用のアイデアは、単なる運動習慣の形成を超えて、心身の健康と社会参加を促進する包括的なアプローチとして注目されるべきだ。生井氏も「運動習慣は絶対に身につけたほうがいい。キックボクシングが一つの選択肢として広まっていけば」と語るように、健康寿命を延ばすための新たな可能性を示している。

これからのサービスのあり方
しかし、併用する上での課題も存在する。移動の負担やプログラムの重複、さらにはコスト面での配慮が必要だ。地域の特性や高齢者の個々の状況に応じた、柔軟な取り組みが求められる。
デイサービスとキックボクシングジムの併用は、高齢者が健康で充実した生活を送るための新たなモデルとして、これからも進化し続けるだろう。運動の楽しみを知った高齢者は、自らの健康管理に積極的に関わるようになり、その結果として社会全体の医療費削減やQOLの向上に寄与する可能性がある。

キックボクシングに励む73歳女性

第二十四話
就学相談6年間の支援学級生活で息子が得たもの

就学相談の結果が出そろうシーズンになってきた。そんな我が家も、発達障害の小6の息子の就学相談が終わったばかりだ。小学校は実質、親が決めた進路だった。中学校に関しては、就学判定委員会の先生方に、息子自身が希望を伝えた。「支援学級に進んで、将来は調理師になりたい」と。我が子の成長を感じたとともに、6年間の支援学級での生活に感謝した瞬間だった。この6年間は、本当に色々あったが、支援学級に進んでよかったと思った。今、普通学級か支援学級に進学するかで悩んでいる親御さんにはぜひ読んでもらいたい。

支援学級を進められた当時の拒否感
小学校入学前の就学相談の時は、教育委員会から告げられた「支援学級進学が望ましい」という判定に、心底、戸惑った。「支援学級なんかに進学したら、我が子の人生は終わるんじゃないか」くらいの勢いで、ショックを受けた。息子は、発達障害とはいっても、保育園では一般の子と一緒のクラスに通っていた。「普通じゃない子」という烙印を押された気分になった。
だけど、一斉指示(先生が30人程度のクラスの児童に一斉に何かを指示すること)への反応が1テンポ遅れるので、30人の生徒に対し先生1人という普通学級で過ごすことは、息子には難しいという理由での判定結果だった。
振り返ると、保育園の時は、みんなが運動会の感想を答える場面で、答えられなくなりはやし立てられたりしていた。いじめに遭うくらいならと支援学級への進学を決めた。
支援学級に対し、いいイメージは全くなく、拒絶感が強かった。

実際の支援学級での生活は想像と違った。
支援学級の授業参観をすると、4月の段階では、カオスと言ってもいいような状態だった。クラスには、授業中に座っている子などおらず、先生に飛びかかる子もいれば、教室を走り回っている子もいた。だけど、平然と授業を継続する先生。
親子面談で先生に不安を打ち明けると「4月は落ち着かないので、毎年、あんな感じです。特に、走っている子を止めません。9月にもなれば慣れて、座って授業ができるようになりますので」との答え。最初は、本当なのか疑ったが、夏頃に授業参観に行くと、落ち着いた雰囲気ではないものの、4月のカオス状態ではなくなっていた。
息子が通う支援学級は、2学年一緒のクラスで、5~6人の生徒に対し、加配の先生も加え2名体制。とても手厚かった。それなので、保育園では、精一杯、頑張って付いていっていた息子の見えなかった障害特性が見えてきた。
授業中に答えられないのが悔しかった時は、我慢できずに、教室から走り出して、校庭で泣いたこともあったと聞く。そんなときでも、人数が少ない支援学級では、先生が息子の気持ちを20分間聞き、落ち着いてから授業に戻るなどの対応をしてもらえた。
当然、授業は普通級に比較して、遅れることとなる。支援学級の子どもたちは、普通学級の子どもたちが自然と身に着ける生活習慣が身に付きにくい。例えば、前日にランドセルに授業の教科書を準備する、持ち物の確認をする、当日に着替えて準備する。そういったことができるようになったのは、つい最近のことだ。支援学級では、生活習慣を身に着けることに重きを置いているので、勉強は遅れるが、服を前後間違わずに着るなどは、力を入れて教えてくれた。そこで、できれば褒めてもらえる。息子の自己肯定感は6年間でメキメキ上がっていった。

自己肯定感のアップが一番の課題
私は成人の発達障害者取材をすることも多いが、おしなべて自己肯定感は低めだ。自己肯定感が低いと、失敗を恐れてチャレンジしなくなる。二次障害にもなる。発達障害者支援法は2004年に制定され、2005年に施行された、児童を含む発達障害のある人への適切な支援を推進するための法律だ。法施行前には、発達障害という概念すら知られていなかった。それ以前に、教育を受けた大人は特に、普通学級で無理を重ねた結果、トラウマを抱えている人も多い。
自己肯定感がアップした息子は、授業で手をあげて発言するようになった。さらに、放課後は、一般の子どもたちと同じく学童に行っていたのだが、年下の子の面倒を積極的にみて、イベントがあればリーダー役を買って出るようになった。
勉強の遅れは、後からどうとでもできるだろう。夜間の学校に通うこともできれば、通信制の塾や学校もある。大人になってからでも、取り返しがつく。
だけど、自己肯定感は一朝一夕に高くなるものではない。高くなった自己肯定感のお陰で、息子は好きな食べ物は自分で作りたいという気持ちにもなれ、料理が趣味になっていった。今では、将来は調理師になるという目標もできた。

一番大切なことを身に着けた息子
障害があれば、周囲の助けが必要な場面は多い。学校と家の共通目標として掲げたのは、「ありがとうございます」「手伝ってください」「ごめんなさい」が言えることだった。脳性麻痺の当事者で、東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授の言葉に「自立とは依存先を増やすこと」というものがある。
健常者であっても、人は1人で生きていけるわけではない。障害者ならなおさらだ。ヘルパーさんや先生たち、地域の支援者たちに、相談場所を作っていけたことが何よりの成果だったと思う。
6年経って、母の私は、支援学級に進学させたことをよかったと思っている。判定の結果に納得がいかない親御さんも多いと思うが、支援学級も悪くないぞとお伝えしたい。

小学校の廊下

今回お話を聞いた方

田口 ゆうさん

あいである広場編集長兼ライター

認知症実話漫画「認知症が見る世界(https://amzn.to/3OR8WrH/)原作者。マイノリティ向け記事やルポ記事の執筆を中心に活躍。

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