介護ライター田口はミタ!介護現場のひそひそ話

第三十一話 見えない8割
「見せてはいけない」という差別
長年、貧困女子の取材を続けてきた作家に、こう言われたことがある。 「田口さんの記事を初めて読んだ時、衝撃的だった。 自分も長年取材してきて、ひどい困窮に陥る人やトー横キッズなんかは障害があると思ってたよ。 だけど、この人たちの姿を世間に見せてはいけないって思ってきた。 田口さんは堂々と、障害者は障害者として書いていた。 それを読んで、自分が世間に見せちゃいけないと思ってきた気持ちは差別だったんだと気づいた」 その人は、私がADHDを公言していたので、取材の待ち合わせ場所までの経路をわざわざ写真に撮影して送ってくれた。 視覚的な情報があれば迷いにくいことを知っていたのだ。 「見せてはいけない」と思っていた人が、個別の支援はしっかりしてくれる。 差別意識と個人的な優しさは、矛盾なく同居する。

アラーム5回の日常
実際、私の日常は普通ではない。 せいぜい30分から1時間の電車移動にアラームを5回かける。 過集中でスマホを見ていると乗り越す。 忘れ物をする。ひどい時は駅から取材先まで1時間迷う。 以前、書いていた雑誌にそのことを記事にできないかと持ちかけたら、 「だけど、いつも取材記事を納品してる。間に合う。そんな話は珍しくもない」と返された。 企画は通らなかった。 アラームを5回かけなければ目的地にたどり着けない人間は、どう考えても普通じゃない。 だが、時間通りにたどり着いてしまう障害者は、障害者としてカウントされない。報道もされない。
メディアが映す三つの障害者
マスコミが報じる障害者の姿には、パターンがある。 一つ目は「触法障害者」。 事件を起こし、恐怖の対象として消費される。 二つ目は「頑張る障害者」。 困難を乗り越え、感動の対象として消費される。 そして、最もメディアに出回るのが三つ目、「社会で苦しんでいる障害者」だ。 差別や制度の壁にぶつかり、SNSで声を上げ、検視を主張し、社会の不条理と戦う姿。 これもまた「物語」として消費しやすい。 怖いか、泣けるか、あるいは闘っているか。 世間が初会社に求めるのは、何かしらのドラマだ。 だが、私の体感では、障害のある人の8割方は、そのいずれでもない。 不便を抱えながら、なんとか暮らしている。 犯罪もしないし、美談にもならない。障害者運動もせず、SNSで声高に権利を主張することもない。 アラームを5回かけて電車に乗り、迷いながらも取材先にたどり着き、原稿を書いて納品する。 ただ、それだけだ。 そして、その「それだけ」の人たちの実像は、可視化されることがない。 インパクトが足りないからだ。
「こういう人はいる」と「傷つく人が出る」
先日SNSである漫画の炎上騒動に巻き込まれた。私はその漫画家の取材をしたことがあるという理由で、 「こんな差別的な漫画を取材する福祉ライターってどうなんだ?」 「当事者の気持ちを考えないのか!」 など、誹謗中傷の嵐にさらされた。 その物語は、未診断の女性が、無自覚のうちに追い詰められ、夜の世界に入り、殺されるという救いのない物語だ。 私のもとには様々な声が届いた。 支援者からは「こういう人はいる」。 当事者からは「これが障害者の姿だと誤解されたら傷つく人が出る」。 別の当事者からは「リアルだ。自分が通っている作業所に、この漫画に近い人がいる」。 私はその騒動の渦中で、不思議な感覚に包まれていた。 自分自身はよく見聞きしてきた話なのに、世間の人にとって、この話はそんなに衝撃的なのか、と。 怒りの声を上げた人たちは、おそらく善意だ。 「障害者をこんなふうに書くな」という講義は、障害者を守ろうとする気持ちから来ている。 だが、その善意こそが「見せてはいけない」という冒頭の作家と同じ構造を持っている。 見せなければ、いなくなる。 描かなければ、いないことになる。 未診断のまま夜の街に流れていく女性はだれの目にも触れないまま、消える。

山の向こう側の存在
触法障害者の問題を取材してきた経験から言えば、報道される事件は氷山の一角に過ぎない。 知的障害や発達障害のある人が万引きや無銭飲食を繰り返しても、微罪処分で終わればそもそも統計に上がらない。 不起訴になれば報道もされない。 刑務所に入った受刑者の4人に1人がIQ70未満だという矯正統計のデータがあるが、 その手前で福祉につながれなかった人の数は誰にもわからない。

一方で、グループホームが新設されると聞けば、住民の反対運動が起きる。 軽度の人が暮らすだけであっても、住民説明会は必須だ。 精神科病院は大抵、人目のつかない山奥にある。 障害者が「山の向こう側にいる存在」でいてくれることを、世間は望んでいる。
珍しくもない温度で
ここに三角形がある。 見たくないと思っている世間。見せてはいけないと思ってきたメディア。 そして見えないまま暮らしている8割の当事者。 この三者が揃うことで、障害者の実像は消える。 冒頭の作家が「見せてはいけないと思っていたのは差別だった」と気づいたように、 見せないことは、いないことにするのと同じだ。 私はアラームを5回かけて取材に行く。迷う。乗り越す。忘れ物をする。でも記事はかける。 その姿が「珍しくもない」と言われるなら、珍しくもない人たちの話を、珍しくもない温度で書くとことが、 私の仕事だと思っている。
今回お話を聞いた方
田口 ゆうさん
あいである広場編集長兼ライター
東京都出身東京都在住。立教大学経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアや日刊SPA!や集英社オンラインなどで連載を持つ。認知症患者のリアルを描いたコミックエッセイ『認知症が見る世界』で原作担当
